伊達家霊廟(だてけおたまや)
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岩出山城は、室町時代には岩手沢城といわれ、大崎氏の監視役であった氏家氏が代々の居城としたところです。
岩手沢城は、大崎葛西一揆のときに廃荒した城を伊達政宗のために徳川家康が諸法山実相寺に40日の間止宿し修復しました。政宗は天正19年に岩手沢を岩出山に、城も岩出山城と改め、慶長8年に治府を仙台に移すまで12年の間、居城としました。 その後第4子宗泰を要害岩出山1万5千石の領主とし、宗泰当時の遺構として、平坦や土塁、空堀などがあります。 |
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伊達家霊廟(だてけおたまや)
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岩出山城は、室町時代には岩手沢城といわれ、大崎氏の監視役であった氏家氏が代々の居城としたところです。
岩手沢城は、大崎葛西一揆のときに廃荒した城を伊達政宗のために徳川家康が諸法山実相寺に40日の間止宿し修復しました。政宗は天正19年に岩手沢を岩出山に、城も岩出山城と改め、慶長8年に治府を仙台に移すまで12年の間、居城としました。 その後第4子宗泰を要害岩出山1万5千石の領主とし、宗泰当時の遺構として、平坦や土塁、空堀などがあります。 |
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初代宗泰、2代宗敏の廟は、桃山式方形の霊廟でしたが、明治9年(1876)の大火により焼失してしまい、現在では歴代当主の墓石が並んでいます。