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伊達家霊廟(だてけおたまや)
寛永15年(1638)12月に江戸にて伊達宗泰が死去すると嫡男の伊達宗敏が岩出山伊達家の家督を相続し、宗泰は、この地に埋葬され霊廟が建立されました。以後、この地は歴代の岩出山伊達家の墓所になりました。
初代宗泰、2代宗敏の廟は、桃山式方形の霊廟でしたが、明治9年(1876)の大火により焼失してしまい、現在では歴代当主の墓石が並んでいます。
岩出山城は、室町時代には岩手沢城といわれ、大崎氏の監視役であった氏家氏が代々の居城としたところです。
岩手沢城は、大崎葛西一揆のときに廃荒した城を伊達政宗のために徳川家康が諸法山実相寺に40日の間止宿し修復しました。政宗は天正19年に岩手沢を岩出山に、城も岩出山城と改め、慶長8年に治府を仙台に移すまで12年の間、居城としました。
その後第4子宗泰を要害岩出山1万5千石の領主とし、宗泰当時の遺構として、平坦や土塁、空堀などがあります。
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政宗公祭り
毎年9月第二週目の土・日に開催されます。
本まつりの、伊達武者行列は、今から約410年前の文禄元年、3,000人もの大勢を率いて岩出山を出発し、上洛する武者姿を再現したものです。
ほら貝を吹き鳴らし、きらびやかに身を装った騎馬武者隊・甲冑武者隊などの勇壮な様子は、まさに動く戦国絵巻そのものです。
桜まつり
4月中旬から下旬にかけて、ソメイヨシノや、枝垂れ桜、八重桜など約350本の桜が咲き誇ります。
桜の名所としても有名であり、お花見の時期は大勢の人で賑わいます。
蒸気機関車 C58114
昭和14年2月、日本汽車製造株式会社において製造し、主に陸羽東線を210万km走り続けた。現在、岩出山町発展の記念物として永久に保存されることになる。
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城山公園
明治元年(1868)、岩出山伊達氏は北海道に移住し、知行は本藩に返上したため岩出山城は廃城となった。
その後、城内の建造物はほとんど民間の所有となったが、明治9年(1876)の大火により大部分が焼失した。
伊達政宗 平和像
伊達政宗のコンクリート像。
もともと仙台城跡に置かれていたもだが、1962年に移設されたものである。仙台城の騎馬像に対して、岩出山城の平和像は起立した形で、1954年に柳原義達が製作した。
城山公園からは、岩出山の町並みが一望できます。
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岩出山城は江合川の南岸にある丘陵の東端部、標高108mの丘陵に築かれた山城である。
北の尾根の中心部にある本丸は東西32m×南北205mの面積である。中央に土塁があり東西に二分されているが、入口があるため連絡できる。この入口の両袖にあたる土塁の側面には石垣が組まれている。
二ノ丸は東西・南北83mであり、本丸の西側に位置する。
大手口は城の南側にあり、搦手口は北側である。
有備館
2代宗敏の代の寛文3年(1663)の火災で城の二ノ丸にあった居館が焼失した。その際の仮居館を利用して元禄4年(1691)、3代敏親が学問所として開設、翌5年にこの地に移された。
昭和8年(1933)、有備館とその庭園は現在残る最古の学問所として国の指定史跡になっている。
アクセス
伊達政宗が居城としていた岩出山城、城跡からは岩出山の町が一望できます。また桜の名所としても知られています。
【お問い合わせ】
岩出山総合支所地域振興課
大崎市岩出山字船場21 岩出山庁舎1階
名 称:岩出山 城山公園
住 所:宮城県大崎市岩出山字城山
開館時間:
駐車場:有り
電 話:0229-72-1215